Feb 16, 2011

カルマパ猊下、そして読売の怠惰極まるジャーナリズム

先月末、チベット仏教カルマ・カギュ派の首長、ギェルワ・カルマパ猊下の臨時居所をヒマチャール・プラデーシュ州警察が家宅捜査した。見つかったのは約百万ドル相当の現金。

ギェルワ・カルマパはミラレパの系譜を継ぐカギュ派の首長であり、チベットでトゥルク(転生)制度を最初に確立し、代々政治に携わらず、修行にのみ励んだ宗教指導者として昔から崇拝されてきた。そういうカルマパの十七代目の転生者を中国政府が「承認」したのは、彼を「祖国分裂主義者」のダライラマに対抗する「愛国」僧侶として育てるためであった。ダライラマに対抗する発言を強いられ、それを拒むことで感じ始めた命の危機から逃れるため、ギェルワ・カルマパは1999年の大晦日、密かに寺院を抜け出し、インドへと亡命を果たす。ギェルワ・カルマパの亡命理由には次のようなものがあげられる:

*ダライラマ法皇に背くようなことを避けるため
*すでに宗派の高僧の大多数がインドに亡命していたため、チベットでは修行を続けることが事実上不可能になったため
*ダライラマ法皇に謁見し、法皇の加持を得るため
*シッキム州ルムテク寺院を拠点に活動した前代の仏事を受け継ぐため

参考:
 ギェルワ・カルマパ、インド亡命以来初めての声明(カルマパ行政事務室より)
  http://www.kagyuoffice.org/karmapa.reference.officialreleases.010427Statement.html
 カルマパ行政事務室主催の記者会見。(ザ・チベット・ポストより)       
  http://www.thetibetpost.com/en/news/international/1420-five-reasons-on-seeking-refuge-in-india-his-holiness-karmapa

しかし、皮肉にもインドで彼を待っていたのは「スパイ嫌疑」。ダライラマ法皇やチベット亡命政府の支持にも関わらず、インド政府は「本当は中国が送ったスパイなのかもしれない」という疑いを持ち続けた。その理由とは、あんな険しいヒマラヤを中国当局にばれずに渡れたわけがない、というのと、我々インドは亡命に先駆けて何も聞いていない、というものであった。ダライラマ法皇がダラムシャーラーの近郊にあるギュト僧院というところにギェルワ・カルマパの臨時居所を案配してくださったのだが、以降11年間ギェルワ・カルマパは「保護」という名の下で事実上このギュト僧院に軟禁されてきた。これまで海外訪問が許されたのは、2008年二週間ほどアメリカのカギュ派のセンターに行ったときだけ。あのときもインド政府からマスコミの如何なるインタービュも受けないようにと、固く言われたそうだ。

ギェルワ・カルマパへの制裁は外出に限るものではない。インドは日本のような国に比べて外貨所持に関する規制が厳しく、外貨を所持するためには、FCRA(外国献金規制法)による許可を得て初めて銀行に合法的に預けることができるという。ギェルワ・カルマパの事務室が幾たびに渡って申請したFCRA許可はことごとく政府によって拒否され、世界各地から寄せられる浄財は寺院にたまっていくばかりだったという。

参考:
 カルマパ、真実VS虚構。イギリスのジャーナリスト、ナオミさんのサイト
 http://karmapafactvsfiction.com/
 「私の名前を授けてくださったのはカルマパ」CNN IBNの編集者、カルマ・パルジョル氏の論説
 http://isikkim.com/16th-karmapa-gave-me-my-name/

今回州警察の見つけたお金はこのたまった浄財である。しかし、単なる財務上の事件として、チベット仏教最高級の指導者の権威を守りつつ捜査を進めることができたのにも関わらず、警察側は最初から記者たちを連れてき、根拠もない「カルマパは中国のスパイ」説を流したし、これを盲目的に報道したマスコミの記事は、インド人たちの反中・恐中感情をむやみに駆り立てた。そう、昔日本の「アカ狩り」や80年代当りまでの韓国における「北朝鮮間諜」騒ぎのように、今のインド人にとって「中国のスパイ」というレッテルはすべての思考回路を麻痺させてしまうほど強力なものなのだ。

しかし、見つかった人民元(25カ国の現金の中10%に過ぎない)意外に、ギェルワ・カルマパが間諜であるという証拠が出ない。それに人民元はチベット本土や中国内地から来るチベット系・漢民族系の仏教徒たちが捧げた浄財である。インドの問題は、(亡命当時14才だった)チベットの高僧にスパイの任務を与え、インドで使いなさいと人民元を送るほど北京を過小評価しているという点である。スパイ小説だとしてもこんな粗末なあらすじのものは誰も読もうとしないだろう。

話を元に戻し、警察は現金以外の証拠が何も見つからないでいる。ギェルワ・カルマパの臨時居所、ギュト僧院には数千人に至るチベット人たちが連日集まり、キャンドル集会を開き、ブッダガヤやバラナシ、シッキム、デリーなどでも数千人が集まって、警察やマスコミの根拠のない「カルマパ・スパイ」説に抗議したのだが、このような事件は一切報道されず、「カルマパの事務室で中国の電話カードが五つ見つかった」「カルマパと北京の高官との密談を録音した資料が発見された」など、無責任極まるデマを流し続けた。

インドの警察は11年間ギェルワ・カルマパの24時間を監視し続けてきた。謁見者は誰もパスポートやビザのコピーを渡させられ、捧げられるものはすべて包装を開けて中身を一つ一つ検査してきた。ギェルワ・カルマパの寝室の外には24時間インド警察が番をしているし、カルマパのすべての外出に同行してきた。今更スパイ騒ぎは何だ?

以下は今回の事件を取り上げた読売の記事。

リンク:http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20110203-OYT1T00172.htm


カルマパ側近はダラムサラ周辺で他人名義により約400か所の土地を購入していた
*この11年間ギェルワ・カルマパに与えられた空間は謁見室と小さな寝室と書斎だけ。一宗派の首長として機能するには実に狭い空間であり、新しい寺院を立てようとする努力が行政事務室によって行われてきた。そのすべての段階は州政府に報告され、土地を買う手続きを進めてもいいという無意義証明書を州からもらっている。他人名義で400カ所の土地を購入したというデマは、今回の報道を追ってきた私にも初耳。
「中国友好文化センター」の建設を計画していた
*これもまったく根拠のない話である。アルナーチャル・プラデーシュ、ラダック、シッキムやヒマチャール・プラデーシュの一部など、これらインドの国境地帯の州は今こそインドの領土であるものの、かつてからチベット文化圏に属する地域であり、従って住民の大多数は(チベット)仏教信者である。ここに仏教寺院を立てることが「中国友好文化センター」設立の疑いに繋がるのなら、インド政府は最初からこれら国境地域の住民を武力を使ってでもヒンズー教にでも改宗させるべきである。もっともアルナーチャルにはカギュ派の寺院はほとんどないのだが。
09年、香港で中国政府当局者と接触した
*上でも触れているが、インド亡命以来、カルマパ猊下の海外旅行が許されたのは08年訪米のときのみ。香港には行っていない。

読売は日本のみならず、世界中に読者を持つといってよい。このような怠惰なジャーナリズムは世界中の読売読者を愚弄することに他ならないと私は思う。特派員じゃなく、日本にいたってこの程度の事実確認はできたはず。読売は当事者との事実確認もせず、チベット仏教界の宗教指導者を貶めるような捏造記事をそのまま引用した意図を明かすべきなのでは?

ディビェッシュ教授の文章:
「仏陀、微笑みを止める」http://oyatree.blogspot.com/2011/02/blog-post_2978.html
「インドのマスコミは蚤の市」http://oyatree.blogspot.com/2011/02/blog-post_16.html


インド中央政府がカルマパ猊下の無嫌疑を宣告する報道(2月17日):
http://ibnlive.in.com/news/karmapa-is-not-a-china-spy-centre/143508-3.html








ドゥマル州知事(インド人民党)は、州内のチベット系寺院、団体の土地を押収し、毎年元の土地代の10%の貸し賃を納めて貸し直すという。つまり一千万円の土地だとすれば、毎年百万円の貸し賃を払わなければならないということになる。海外からの援助の多い寺院ならかろうじてやっていけるのかもしれないが、だいたいのチベット寺院にとってこれは「どけなさい」同様の宣告である。

州は、このような措置と今回のギェルワ・カルマパを巡る事件とは一切関係のないものだと言っているが、その最初の対象はギェルワ・カルマパの臨時居所であるギュト僧院であった。


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